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1984年度石川高専_山中 路代さん
石川高専OGの山中さんは、富山県内の建築設計事務所に勤務されており、これまで教育施設、文化施設、福祉施設など様々な用途の建築設計や監理に携わってこられたそうです。そうした中、令和6年1月1日の能登半島地震に見舞われ、翌日には富山県高岡市から応急危険度判定業務の依頼があったそうです。それ以降も氷見市、射水市の応急危険度判定を行い、その後の3つの市の被災認定2次調査の際は、山中さん自身がその調査員や住宅相談に参加したほか、氷見市の2次調査では自身が窓口となり対応にあたったとのことです。
こうした経験の中から、同級生や建築士会等、様々な方との繋がりを持つことが大切で、そのことが災害等の緊急時には力を発揮するのではとの思いを抱いているようです。そして、被災地域の復興に向けて、これからも地元で活動する建築士として地域に携わっていきたいとの力強いメッセージをいただきました。
また、現役生に向けて、学校での学びだけでなくいろんな活動を経て心豊かな人になり、美しいまちづくりを担って欲しいとの応援メッセージもいただきました。
(文責:連合会事務局)
高専を卒業して云十年。私は、地元富山県で地域と調和する建築を目指し、県内の建築設計事務所に勤務しています。小学校、中学校等の教育施設、戸建て住宅や公営住宅といった住まい関係、曳山会館やホール等の文化施設、こども園、福祉施設や生産施設等、様々な用途の建築設計や監理に携わってきました。その都度学ぶことが多く、日々勉強です。
そのような毎日を送っている中、令和6年1月1日に「能登半島地震」が発生しました。富山県は最大震度5強を観測し、経験したことのない大きな揺れと揺れている時間の長さでした。今まで自然災害を経験することが殆どなかったので、富山県は地震がない地域だと根拠もなく誰もが妙な自信をもって言い放っていたものです。
地震が発生した時間帯がちょうど家族や親戚が集まっていた頃で、地震により全てが一転。そして津波警報が解除になるまで、避難所や親戚の家で過ごしました。
今回の地震が発生してからの動きは、翌日の1月2日に富山県高岡市から富山県建築士会高岡支部と富山県建築士事務所協会高岡支部に応急危険度判定業務の依頼がありました。2020年に、建築士会、事務所協会、JIAの建築三会で富山県と各市と防災協定を締結していたこと、市の担当者が熊本地震の際、応援に派遣されたことが、初動の動きの早さにつながりました。以降、氷見市、射水市の応急危険度判定が完了した後、被災住宅相談所の開設、その後、3つの市の被災認定2次調査を行い、氷見市については、現在も被災認定2次調査を継続して行っています。そして随時、復興やまちづくりに向けて各諸団体で講習会や東日本大地や熊本地震を経験された建築士を交えた意見交換会が開催されています。
私自身も、被災認定2次調査の調査員や住宅相談に参加しました。そして、氷見市の被災認定2次調査については、私が窓口となり市の担当課と連絡を取り合い、メール、ライン、電話等で参加可能な調査員を派遣することや、調査件数や調査員の延べ人数などの月末報告を1年近く行っています。
また、昨年、私たちは節目の年ということから、大学時代の同窓会開催のための連絡網ができていました。地震発生時やその後、同級生や建築士会を通じての知り合った遠方の方から気遣いの連絡を頂いたことは大変勇気づけられ、その後も情報提供やアドバイスなど受けることができました。緩やかでも構わないので、同級生やいろんな方との繋がりを持っていることがとても大切です。そのことが緊急時には力を発揮することができると思います。
現在、地盤の液状化によって被害を受けた地域では、時間が止まっているかのようなところもあり、復興はまだこれからですが、地元で活動する建築士としてこれからも地域に携わっていきたいと思います。
近年、全国各地で大きな地震が発生し今回の能登半島地震含め、多くの「建築士」が様々な活動に取り組んでいます。「建築」は多岐に渡り、地域貢献活動や建築単体の設計がまちづくりや地域づくりに繋がっていきます。学校での学びの他、旅行やボランティアやいろんな活動を経て心豊かな人になり、これからの美しいまちづくりを担ってください。