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1998年舞鶴高専_田中邦裕さん
舞鶴高専OBの田中邦裕さんは、工作が大好きな少年で、小学生の頃にNHKでみたロボコンに憧れ、自分の手でロボットを作ってみたいと思ったことがきっかけで高専を目指されたそうです。
舞鶴高専在学中に寮の一室でレンタルサーバーサービスをつくり起業され、現在は、さくらインターネット株式会社 代表取締役社長として、様々な分野でご活躍されています。
(文責:連合会事務局)
研究室でのロボット制作
ロボコン出場会場にて
私が高専を目指したのは、小学生の頃にNHKでみたロボットコンテストに憧れ、自分の手でロボットを作ってみたいと思ったことがきっかけです。
私が生まれた1978年は、日本がものづくりで世界を席巻していた頃で、自分自身も工作が大好きな少年でした。そんなこともあり、1993年に高専に入学しました。
この時期の日本は、バブルが崩壊して、長い経済的な停滞への入り口にあり、工場はどんどん海外に移転し、昔の力強さを失い始めていました。
それでもものづくりが好きな私は、授業自体も楽しいし、吹奏楽部での課外活動も満喫しながら、充実した高専生活を送りました。
ちなみに最初に印象に残っているのはZ80マイコンの授業で、中でもクラス内で計算の速さを競うプログラミングコンテストで1位になったことは、今でも自慢できるエピソードです。
それに乗じて、プログラマーズコミュニティというパソコンサークルに所属し、高専プロコンにもチャレンジしましたが、まだまだ練度が足らなかったのか、予選敗退してしまい、2年生からはロボコンに乗り換えて、小さな頃からの夢であるロボコン出場も果たし、卒業までに4回チャレンジしました。
このように毎日を楽しく過ごして来たわけですが、新たな刺激として目の前に現れたのが、コンピューターネットワークでした。
パソコンがネットワークを介してサーバーに接続され、たくさんのコンピューターが協調して動作し、そのコンピューターを通じて遠く離れた人が自由にやりとりできることに大変興味を持ちました。
ちょうどその頃、World Wide Webが出てきて、ブラウザーが出回り始めた頃で、ホームページを作って公開することに毎日の時間を費やすようになりました。
そして、とうとう学校がインターネットに接続されることとなったのですが、ロボコンの全国大会で秋葉原に行ったその日、店頭のインターネット体験コーナーから、自分のホームページにアクセスし、学校に残った友達とチャットした時、雷に打たれたようにインターネットの凄さを体感しました。
ここからの行動は速く、翌月にはドメイン名を取得し、有料でサーバーを世界中の人にレンタルするサービスを始めました。
これが、1996年のさくらインターネット創業です。
高専は私の原点であり、人生そのものであるわけですが、高専でのインターネットとの出会いが、自分の人生を決めたと言っても過言ではありません。
そして、「みんなで大きなことをやり遂げること」、「やりたいことを叶えることの大事さ」というのも学びました。
もし、普通の高校に行っていたら、このような機会も気づきも得られないまま、自分が本当にやりたいと思えることにも出会えないまま、人生を過ごしていたのかもしれないと思うと、本当に貴重な出会いだったのだろうと改めて感じます。
いま、さくらインターネットは800人近くの社員に恵まれ、東証一部上場も果たしました。
その原点は高専にあり、そしてさくらインターネットの社是である「やりたいことをできるに変える」という言葉につながっています。
ものづくり人材を作るという高専のミッションは重要ですが、私が入学した1993年からソフトウェアの重要性が増し、ものづくりを初め、さまざまな場所においてITの重要性が叫ばれています。
また、イノベーションがより重要になる中で、アントレプレナーシップに対する世の中からの期待は大きくなっています。
そのような環境下で、素晴らしいIT人材や、起業家など、世の中を自分のやりたいことで変えていける人材を生み出す場所としても、高専が継続的に果たせる役割は大きいと思います。
もう卒業から22年が経ち42歳になりましたが、これからの若者が、自分のやりたいことをできるに変えられる環境を高専で見出せるように、そしてその環境を提供する高専や教員の皆様に、これからも役に立ちたいと願っています。