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1984年度明石高専_小林淑子さん
明石高専OGの小林淑子さんは、宮城県にお住まいで東日本大震災を経験された方です。その生活の中で、東京の女性建築技術者女性建築技術者の会の発案により、被災者の方の記憶の中の間取りやお家にまつわる思い出を描き、一枚のアルバムとして贈呈するという「記憶の中の住まい」活動を宮城県建築士会女性部会の活動として行ってきたそうです。
また、それを後世に伝え遺すべきではとの思いから、クラウドファンディングで得た資金により、了承していただいた方の「記憶の中の住まい」を再編集し冊子として作り上げ販売も行っているそうです。そして、今も「記憶の中の住まい」活動を継続しているとのお話をいただきました。(文責:連合会事務局)
宮城県では、約30数年周期で宮城県沖地震が発生するといわれていたが、県内のあちこち、あるいは岩手県沖、福島県沖を震源とした震度3〜5程度の揺れはしばし発生し、震源地付近では被害もあったが、阪神淡路大震災後、私が生きているうちにあのような大変に悲しく辛い地震による被害は、起こらないとたかをくくっていた。
「記憶の中の住まい」プロジェクトは、震災の2年目から始まった宮城県建築士会女性部会の活動である。発案は、東京の女性建築技術者の会によるもので、被災状況を目の当たりにした彼女達は、その経験から記憶の中にしかない間取りや、お家にまつわる思い出を描き残し、その方だけのアルバムの一枚として贈呈するという活動をしてはどうかと、つながりのある当会女性部会員にお話しされた。
初回は、彼女たちと聞取りし、贈呈まで行ったが、その後は私たちが引継ぎ、県内沿岸部仮設住宅の集会所に作成したチラシを置かせてもらい、コロナにより聞取りができなくなるまでの十数年で37軒の住まいの記憶をお渡しすることができた。
記憶の中の住まいには、家族の思い出が描かれているのだが、その間取り図は地域や、職業、時代を現しているものもあり、また聞取りをしたお話の中には少なからず、地域での出来事などが記されていた。
先祖代々住み続け、今までと変わらず続けられただろう祭り、行事、街並み、なりわい、そこでの香り、におい、音、おばあちゃんやお母さんたちが続けてきたお付き合い、があった地域に今、それらは跡形もなく、区画整理され、町名が変わり、付け替えられた幅員の広い車道を大型車両が走り抜け、巨大な産業施設が立ち並び、住民と言われる人はここにいない。
各地に被災建物が保存されているが、下記は聞取りした地域の住宅基礎などの遺構
震災遺構仙台市荒浜地区住宅基礎
https://arahama.sendai311-memorial.jp/residential_foundation/index.html
コロナ禍で聞取り活動がストップしてしまった私たちは、ただその方のためだけの活動をしてきて、描き残した間取りやお話は個人のものだが、伝え遺すべきものではないかと、冊子にすることを了承くださった方の「記憶の中の住まい」を再編集し、クラウドファンディングで資金を集めることにした。ページ作成・返礼品の設定など自前で行ない、160名超の方からの応援で、目標の100万円を超える149.9万円を達成し、発行した1500冊は、返礼品、贈呈、販売(1,000円/冊送料別 問合せ(一社)宮城県建築士会)、3.11伝承ロードの震災伝承施設、主要図書館などへ配布し、残り500冊弱となっている。
「間取り」を聞き起こすことは、建築士だからこそできる事であり、職能を生かした継承のカタチだと冊子になったことで改めて思っている。また「記憶の中の住まい」の活動もクラウドファンディングも個人としては難しく、「建築士会」という団体、仲間のおかげでこの活動に参加させてもらうことができた。「記憶の中の住まい」の活動は今も継続している。